高尾にある天皇の墓地、一度行ってみたいな~と何年間も思い続けていた。
でも、ノリノリで「行きたい!」と名乗り出る道連れがいなかったし、
そこそこアクセスに時間がかかるわりには、盛り上がりに欠けるかなと、訪れる機会がなかなか無かった。
この度やっと機が熟し訪れることができた!嬉しい!!
思った通り素敵な場所だったし、
思った通り、ノリノリの観光地といった盛り上がりはない場所だった。素敵な散歩空間。
わたしは伊勢神宮と似た空気感を感じたのだけど、調べてみると、
風水的に伊勢神宮と同じようなつくりなんだとか。えへん!わたしの六感もまんざらじゃなし!
ここから向こう側に入るよ的な雰囲気が演出されているんだね。
伊勢神宮の宇治橋とか、千と千尋の神隠しの赤い橋と同じ原理。神々の世界と現世の境目ね。
そんな意味合いがどこまで意図されているかはわからないが…、
こちらは大正15年大正天皇崩御のおり、御陵所の造営が決定した際に、東京府が参道として建設したのが始まりらしい。現在の橋は昭和11年に架け替えられたもの(橋歴碑より)。
天皇陵は宮内庁だけど、境目の橋は東京都の管轄なんだね。
門を入るとまず目に入るのが池。
あれれ~、あれはサギではなく、白鳥のような…
バーッと飛んだお姿も、サギではなく白鳥のような…
でも、こんなとこに白鳥って、普通、いないよね…。ヤマトタケルノミコトのオマージュ??
よくわからないが、神秘的な気分を高めたところで、参道へ向かおう。
空気感をうまく撮影できていないのが残念ですが…、
どっしりと威厳のある参道。これからすごいところに導かれるぞと言う感じ、
このあたりの雰囲気、演出も、伊勢神宮に似ていると感じた。
鳥居があって、その向こうに丸いお墓が見える。上円下方墳というタイプらしい。
わたしは、昭和天皇のお墓が一番美しく思いました。
実際に眺めていると、鳥居の向こう側から古墳が迫ってくるような迫力を感じます。
周りの森の雰囲気、シンメトリーな要素の配置、高さの演出等々、
芸術的なうんちくはさっぱりアウェイですが……、なにしろ迫力のある美しさでした。
上から見るとこんな感じ。鳥居から古墳まで意外と遠い。
繰り返しになりますが…、距離と高さと要素の配置が、うまく計算されているんだろうねえ。
ちょっと不謹慎な話しになりますが、
お噂通り、今上天皇のお墓を準備中のようです。
立派な古墳を一つずつではなく、
小ぶりにしたいとか、ご一緒に入りたいとか、言ってましたよね~。
今上天皇ご夫妻はほんと素敵👏
武蔵陵墓と、そのモデルとなった明治天皇の伏見桃山陵はいずれも、大林組が工事を請け負ってるんですね。
設計やデザインは、どのような人がされているんだろう?やっぱり風水とかに詳しい方なのかな?
ところで、明治・大正・昭和の天皇が古墳に入っているってことは、これまでも天皇家の墓は代々古墳だったのかな?って思いますよね。それが違うんです。
こちらの表が実に面白い(天皇陵 歴代順で探す)。
神武天皇からはじまって、124代昭和天皇までのお墓の名前と場所がリストアップされている。だいたい奈良、大阪、京都に墓があり、最近では108代から121代までずっと京都の泉涌寺にお墓がある。大正天皇以降が関東ね。
そのお墓っていうのは、121代の孝明天皇を除いて、石の塔のような小ぶりのお墓。
それが、ジャジャーンと古墳になったのが、幕末の孝明天皇のとき。その理由がなんと王政復古!(行ってみて驚いた!「天皇のお墓」をご存知か)
おもしろすぎる。
それまでせいぜい大名規模だった天皇の墓が、王権の復活を象徴して古墳時代さながらにドドーンと巨大化したってこと。
つまり、歴史の教科書でみる「王政復古」の一側面が現代に引き継がれており、その3代目と4代目をいまわたしたちは高尾の地で眺めてるってわけ~~!!
でもさあ、ってことは、
天皇家及び日本国に連綿と受け継がれてきた伝統というのではなく、
比較的最近の政治的変化によって墓が巨大化したってことは、
戦後の日本国憲法発布後に、つまり次の政治的変化によって、再び天皇墓のあり方を再検討するのが道理だったということでは…??
現代の古墳建築は荘厳でじつに素敵だけど、天皇のあり方について考えはじめると、賛否両論ありそうだな~~😵
でも、ノリノリで「行きたい!」と名乗り出る道連れがいなかったし、
そこそこアクセスに時間がかかるわりには、盛り上がりに欠けるかなと、訪れる機会がなかなか無かった。
思った通り素敵な場所だったし、
思った通り、ノリノリの観光地といった盛り上がりはない場所だった。素敵な散歩空間。
わたしは伊勢神宮と似た空気感を感じたのだけど、調べてみると、
風水的に伊勢神宮と同じようなつくりなんだとか。えへん!わたしの六感もまんざらじゃなし!
アプローチ
武蔵陵墓地の敷地に入る前に、浅川という多摩川の支流を超える。ここから向こう側に入るよ的な雰囲気が演出されているんだね。
伊勢神宮の宇治橋とか、千と千尋の神隠しの赤い橋と同じ原理。神々の世界と現世の境目ね。
そんな意味合いがどこまで意図されているかはわからないが…、
こちらは大正15年大正天皇崩御のおり、御陵所の造営が決定した際に、東京府が参道として建設したのが始まりらしい。現在の橋は昭和11年に架け替えられたもの(橋歴碑より)。
天皇陵は宮内庁だけど、境目の橋は東京都の管轄なんだね。
エントランス
エントランスに掲示されている地図。わかりやすい。
表参道を歩いて先に見えるのが大正天皇ご夫妻、その次が昭和天皇ご夫妻ってことね。オッケー。門を入るとまず目に入るのが池。
あれれ~、あれはサギではなく、白鳥のような…
バーッと飛んだお姿も、サギではなく白鳥のような…
でも、こんなとこに白鳥って、普通、いないよね…。ヤマトタケルノミコトのオマージュ??
よくわからないが、神秘的な気分を高めたところで、参道へ向かおう。
空気感をうまく撮影できていないのが残念ですが…、
どっしりと威厳のある参道。これからすごいところに導かれるぞと言う感じ、
このあたりの雰囲気、演出も、伊勢神宮に似ていると感じた。
上円下方墳
4つのお墓は、どれもだいたい同じつくり。鳥居があって、その向こうに丸いお墓が見える。上円下方墳というタイプらしい。
わたしは、昭和天皇のお墓が一番美しく思いました。
実際に眺めていると、鳥居の向こう側から古墳が迫ってくるような迫力を感じます。
周りの森の雰囲気、シンメトリーな要素の配置、高さの演出等々、
芸術的なうんちくはさっぱりアウェイですが……、なにしろ迫力のある美しさでした。
上から見るとこんな感じ。鳥居から古墳まで意外と遠い。
繰り返しになりますが…、距離と高さと要素の配置が、うまく計算されているんだろうねえ。
google map より |
お噂通り、今上天皇のお墓を準備中のようです。
立派な古墳を一つずつではなく、
小ぶりにしたいとか、ご一緒に入りたいとか、言ってましたよね~。
今上天皇ご夫妻はほんと素敵👏
考察
さて、武蔵陵墓地と伊勢神宮が風水的に類似しているという説は、こちらのブログ(天皇陵の風水探訪でわかってきた風水)に書かれていました。風水もからっきしアウェイなので…、詳しくはひオリジナルをご参照ください🙇武蔵陵墓と、そのモデルとなった明治天皇の伏見桃山陵はいずれも、大林組が工事を請け負ってるんですね。
設計やデザインは、どのような人がされているんだろう?やっぱり風水とかに詳しい方なのかな?
ところで、明治・大正・昭和の天皇が古墳に入っているってことは、これまでも天皇家の墓は代々古墳だったのかな?って思いますよね。それが違うんです。
こちらの表が実に面白い(天皇陵 歴代順で探す)。
神武天皇からはじまって、124代昭和天皇までのお墓の名前と場所がリストアップされている。だいたい奈良、大阪、京都に墓があり、最近では108代から121代までずっと京都の泉涌寺にお墓がある。大正天皇以降が関東ね。
そのお墓っていうのは、121代の孝明天皇を除いて、石の塔のような小ぶりのお墓。
それが、ジャジャーンと古墳になったのが、幕末の孝明天皇のとき。その理由がなんと王政復古!(行ってみて驚いた!「天皇のお墓」をご存知か)
おもしろすぎる。
それまでせいぜい大名規模だった天皇の墓が、王権の復活を象徴して古墳時代さながらにドドーンと巨大化したってこと。
つまり、歴史の教科書でみる「王政復古」の一側面が現代に引き継がれており、その3代目と4代目をいまわたしたちは高尾の地で眺めてるってわけ~~!!
でもさあ、ってことは、
天皇家及び日本国に連綿と受け継がれてきた伝統というのではなく、
比較的最近の政治的変化によって墓が巨大化したってことは、
戦後の日本国憲法発布後に、つまり次の政治的変化によって、再び天皇墓のあり方を再検討するのが道理だったということでは…??
現代の古墳建築は荘厳でじつに素敵だけど、天皇のあり方について考えはじめると、賛否両論ありそうだな~~😵