大江戸今昔めぐりのつづき。日枝神社のあとはいつもトルコ

ブラナマケ、虎ノ門をくぐりたい!に引き続き、江戸城内(外郭)を歩く~。
虎ノ門周辺は、過去と現在の連続性がほぼ無いことがわかった。
虎ノ門はすっかり別人。史跡は点在するも、過去を彷彿し難い。

それに引き換え、その近くでピッタシ過去との連続性を維持しているのが日枝神社!
さすがに、神社仏閣の空間を切ったり貼ったりするのは憚られるのね~。


日枝神社

国会議事堂、衆議院から見下ろす山王坂は、
日枝神社の表参道だったんだね~。過去と現在の地図がピッタシ。
航空写真を見ると、山王坂は議員会館の間を斜めに通る。変なの~。
しかし、江戸時代の地図を見ると、山王坂は実に正しい。素直な道なのだ。

つまり、現在の国道246号が、江戸時代の道路とは異なる角度で(位置に)建設されたということ。
それゆえに、新しい秩序に準じて建設された議員会館と、古い秩序に準じる山王坂(表参道)が不思議な角度で共存しているのですね。
表参道(山王坂)を下って左に折れると、日枝神社の正面、男坂である。
この位置関係も江戸時代とピッタシ同じ。
ほら、江戸時代の絵を見ても、参道から左に折れて、男坂にたどり着く様子がよくわかる。同じクランクだあ!
『江戸名所図会 6巻』国立国会図書館デジタルコレクションより

過去の面影を深く味わいながら男坂の階段を登り、本殿に到着。
江戸時代と変わらない場所で、江戸時代と同様に、厳かに拝む~!

参拝のあとは、千本鳥居を降りて赤坂方面へ抜けることにした。
この階段は、江戸時代の地図には描かれていない。比較的最近のモノなのかしら???

階段を降り切ると、赤坂見附駅前。
江戸時代には、日枝神社周辺のお堀沿い、平らな部分に、たくさんのお寺がひしめいていたんだね。
江戸時代には、神仏習合のために、神社を管理する別当寺というのが置かれていたらしい。
日枝神社の場合、江戸時代の地図を見ると、男坂のふもとにどどーんと大きな「観理院」が見える。これが別当寺。お堀沿いにひしめくお寺たちは、その配下にある寺院ということなんだろうな。たぶん。
広重「赤坂桐畑」。国立国会図書館デジタルコレクション より
地図との関連性が微妙につかめないが…、この絵の向こう側に見えるのが、別当寺群ならしい。こんもりとした山王台地のふもとにある建物たち。

さて、智乗院と常明院の間を通って、お堀をじゃぶじゃぶ進む。城外に渡りま~す。
このあたりのお堀は、虎ノ門周辺とは異なり、ほぼほぼ外堀通りと符号します。




トルコ料理、サライ 赤坂店

ところで、日枝神社といえば2年前の初詣がこちらだった(日枝神社の表参道って裏側にあるよね。ハウツーアクセス。)。
千本鳥居にうひゃうひゃと浮かれたことを覚えている。

その初詣の帰りに立ち寄ったのが、サライ
日枝神社でいただいたお守りのまさる
お皿とクッションの下にも、まさるがいるので見つけてみて~。

どうしてだろう、日枝神社を参ったあとにはトルコ料理が食べたくなるのだろうか?
今回も、たくさん歩いてお腹が空いたところで、サライにてディナー。
トルコはランプなどのインテリア雑貨が素敵だね。
もちろん料理もナイス。

なんてったって、大大大好物のアラブ菓子!デブデブ必至の油甘いやつ。
ギリシャでもモリモリ食してしまったあれね~(中央市場)。相変わらず旨かった~😋

ところで、このお店の場所は江戸時代はなんだったでしょうか?
むむ、「赤坂田町五丁目」とな。グレーは町屋ということですが…、このあたりに商店が並んでいたということなのだろうか?江戸時代の赤坂田町の風景も見てみたーい。