江戸東京たてもの園に行ってみた。

小金井市にある江戸東京たてもの園。
ずっと気になっていた場所の一つ。やっと訪れることができた!





概要

江戸東京たてもの園は、小金井公園の中にある。たてもの園も公園もどちらも都立。
小金井公園はどでかい。広大な敷地面積の中に森林まである。

東京たてもの園の前の「たてもの園前広場」もどでかい。
テレビで見た、天安門広場のよう。大勢で並んで太極拳をしたいような場所だ。

東京たてもの園の入り口にあたるこの建物も、すでに展示物である。
これは、昭和15年に紀元2600年(神武天皇即位から2600年)を記念する式典のために、皇居前広場に仮設された式殿だったそうな。
そう言われたら、そうだ。いかにも宮殿っぽい。

このように、東京たてもの園には、さもなければ取り壊されてしまうような古い建物が移築されている。
基本的に東京都内からの移築なのだけど、なぜか「奄美の高倉」なるものもある。たまたま縁あって、東京都に寄付されたのかな??

園内は、3つのゾーンに分かれている。
配置は、基本的に、東京地図を模しているんだって。つまり、
西ゾーンは、多摩地域の農村のイメージ。
センターゾーンは、先の式殿に象徴されるようにハイソなイメージ。
東ゾーンは、下町のイメージ、ならしい。

この中でわたしが気に入ったのは、
第一に高橋是清邸(C3)。豪華で繊細!住めるものなら住んでみたい。
第二に農家綱島家(W8)。日が当たり、風が通る、気持ちのよい縁側で読書したい。
第三に農家天明家(E1)の立派な長屋門。長屋門の使い方を初めて理解した。
おまけで、デ・ラランデ邸(W10)のカフェは居心地がよさそう。歩き疲れたらのんびりお茶したい。

これらお気に入りも含めて、特筆すべき展示を、西ゾーンから見ていきます。




西ゾーン

W2 三井八郎右衛門邸 (港区/母屋:1952年、土蔵:1874年)

農村エリアの西ゾーンですが、いきなり例外で…、農家ではなくハイソな館。
三井財閥の三井家11代当主のお屋敷というのだからね。よく知らないがご立派なはずだ。
座敷二間(写真右側)とその横の縁側(写真左)がステキ空間だった。
出来るもんなら、ここで、一日のんびり過ごしてみたい。
襖や欄間や天井などのディテールが凝っていて見ごたえあり。
この天井は、湯屋のモチーフとして宮崎隼人監督をインスパイア―したとか、しないとか…。

土蔵にも行ってみた。え~らい怖かった~~~~~!!
たまたま(?)誰もいなかった。観光客も係員もいない。私ひとり😱
蔵は3階まであるのだけど、つい最上階まで行っちゃったけど…、階段を昇るにつれて空気感がやばくなったよ。帰りは、後ろを振り返らずに、逃げるように出てきた。もう少し滞在時間が長かったら、ヤバかった。連れていかれてたわ。
この写真は、たしか二階。なんで豊臣と徳川の家紋が三井家に?と、まだ興味津々でのんきめに観光していたとき。
三井家の第11代当主(高公)の妻(鋹子)が、越前松平家の娘だそうな。それで葵のご紋ね。
桐紋の説明は忘れた。土蔵から逃げかえるときに、理解した内容がこぼれ落ちていったようです。

W5 八王子千人同心組頭の家(八王子市/江戸時代後期)

八王子千人同心というのは、甲斐との国境を警備する徳川家の家臣団、すなわち武士団のことだって。今でいうと、ロシアを仮想敵国として北海道におかれた自衛隊のようなものだね。
武士とはいえ平時は農業を営んでおり、半農半士だったとな。
この方たちは、八王子に住む100%農民のご近所さんたちと、どのような関係にあったんだろうなあ?

同心の家の中は粗末だった。というか他の同時期の農家の家と比べて中の下くらい。
綱島家よりは辛うじてリッチな感もあるが、吉野家や、ましてや天明家よりはかなり劣る。
興味深かったのが「風呂場」。風呂というよりは行水場だね。手桶でじゃぶじゃぶと桶の水を使う感じ。排水は、そのまま竹でできた床下に落とす。な~るほど。

W8 綱島家(農家)(世田谷区/江戸時代中期)

このお宅は、ごく普通の農家の古民家だけど、
風通しのよさそうな部屋と日当たりのよい縁側が気に入った。
ここで半日のんびり過ごしたい。

W10 デ・ラランデ邸(新宿区/1910年頃)

これも西ゾーンですが例外。農家ではなくハイソなお宅。
普通に洋館。横浜山の手の西洋館めぐりでも登場しそうな家。

特筆すべきは、リビングとダイニングがカフェになっているところ。
和の古民家巡りのなかで、ほっと一息、現代的な感覚に戻れる空間。
箸休めに、ここでゆっくりコーヒーとケーキをいただいて、後半の探索に赴くが吉。




センターゾーン

C2 旧自証院霊屋(新宿区/1652年)

江戸幕府三代将軍家光の側室(お振りの方)の霊廟だって。
この建築を担ったのが、甲良家という有名な大工で、江戸城や日光東照宮の建築にも携わっていたと。だから、この霊廟は、あの豪華な日光東照宮に通じるところがあるらしい。
そう言われたら、日光東照宮にも、こんなかんじの建物がちらほらあったような…??

C3 高橋是清亭(港区/1902年)

このお屋敷は立派。大磯で見た政治家らの別荘に通ずるものがある(☛明治記念大磯庭園)。同時代だし、同業者だし、感性も似ているのかな~。

何よりも感心したのは、ガラスの使い方。
柔くてきれいな光を取り込む食堂のすりガラス。

ツルンとした質感で、庭を芸術的に切り取る寝室の窓。

1階居間の窓も同じコンセプトだけど、より開放的。

この窓たちは、外から見ると、やはりツルンと飴のように光っている。
家の中にいながら、自然を最大に享受できそうな窓たち、かなり好きだなあ。

ちなみに、二階の、美しい窓の寝室が、例の2・26事件の現場だそうです。
是清がどこに布団を敷いていて、青年将校たちがどのように切りつけたのかと、スタッフの方たちが、ああでもないこうでもないと、熱心に語りあっていました。




東ゾーン

E1 天明家(農家)(大田区/18世紀後半)

東ゾーンは下町のはずですが、これまた例外。農家です。
でもただの農家ではない。かなりリッチな農家。
母屋も、他の農家に比べると別格に広いのだけど、
わたしが気に入ったのは、立派な長屋門。
うちの別荘がある南房総にも長屋門はときどき残っているので、
長屋門自体はそれほど珍しくないのだけど、わたしが知っている長屋門は納屋みないに、こきたない場所。
こんな風情のある長屋門は初めて見た。
そっか、「長屋」だけに、長屋門は本当は人が生活する空間だったのか。
たまたま多くの農家さんが、現存する長屋門を納屋として使っているだけだったのね。やっとわかった。

下町中通り

東ゾーンの大部分は、下町中通りを挟んで、商店が軒を連ねている。

路地に入ると、塵芥箱があったりして、生活感が醸し出されている。

ジャイアンのリサイタル広場のような空き地も演出されていた。

E3 鍵屋(居酒屋)(台頭区/1856年)

こちらは、ジブリかもねポイントの一つで、
千尋の両親が大皿にがっついて豚になったお店のモデルだとか、じゃないとか…。

E4 子宝湯(足立区/1929年)

こちらも、ジブリかもねポイントですね。一見して、なんとなく似てる気はする。
中までずかずかと見学できますが、
んんんん、すごく知ってる。銭湯だわ…。

E6 武居三省堂(千代田区/1927年)

引き続きジブリポイント。こちらはモデルにしたよ~と宮崎氏が実際に語ったポイントだったような、たしか。
わたしの苦手なクモ、の窯爺が薬草を取り出していた引き出し。のモデル。
うわ~、引き出しがたくさんあって、どれがどれだか覚えられなーい。





まとめ

江戸東京たてもの園のなかでも、わたしが特に気になったものについて紹介しました。
わたしが訪問したのは平日の午後。
ほとんど客がいなかった。客よりも、スタッフの方が多かった。

わたしは、2時間半ほどでザーッと回った。
修理中で立ち入り禁止の家もあったので、すべての建物を見たわけではなく、
またロングブーツを履いていったのが敗因で、スキップした家も多し。

洋館と、消防法上の理由で上がれない下町以外は、玄関で靴を脱ぐシステムです。
なので、脱いだり履いたり脱いだり履いたり脱いだり履いたり。
面倒なので、微妙そうなのは飛ばした。

また行くことがあったら、靴は着脱しやすいものにすべし。
なお、概要は一通りわかったので、特に気に入った空間でゆっくりと時間を過ごしてみたいな。

最後に、再び小金井公園、「いこいの広場」の並木。
たてもの園のあとは、小金井公園の広さを満喫するのもありかもね。