先日、突然、前知識なく「小布施」を観光しました。
そのあたりで半日空くけどどうしよか~。ちょっと有名そうな小布施にでも行ってみよか~。という軽い展開。
前知識がなかったことで、むしろ純粋に楽しめたかも。
感性のおもむくままにオッサレ~なレストランとホテルを発見して大興奮。
「小布施方式」といわれる有名な町並みも、何も知らずにブラブラ味わった。どのようにこの町並みができた(あるいは保全されている)のだろうと、学術的興味が自然に沸き上がったよ。
わたしは、「町並 小径」と「古刹」に興味あり。あとは、何でもいい~。
友人は、プラス「岩松院」と温泉ということで、
まずは「町並み 小径」を探索。町中の駐車場から、中心地っぽい「北斎館」のあたりを目指して歩いた。
死ぬほど暑いからとにかく一回休みたいと、やっと見つけた店舗「小布施堂傘風楼」に入るも、どうしても気が乗らずに出てきた。都会の小じゃれたレストランと変わらない。
もう少し頑張ろうと、広場の向こうに目をやると、立派なお屋敷発見~!これこれ=!
「ぜひ、あそこに入ってみたーい!あれ、なんだろう?おいくら万円するだろう?」と言いながら近づいた。
「蔵部(くらぶ)」というレストランじゃないか。しかもメニューを見ると普通の価格帯!
すごいすご~い。わ~~い。ここ入る、入る~~。大興奮!!
私はデザイン系についてからっきしアウェイですが、一緒にいたデザイン系の友人も絶賛していました。
パークハイアットを手掛けたジョン・モーフォードつう人の作品だそうな。
ご注文は、黒豆寒天とアイスコーヒーのセット。これまた上品でアゲアゲ。
この店構え、この洗練さで、寒天セット1000円強の良心価格。おいくら万円じゃなくてよかった。ほッ。
素敵空間にて猛烈な暑さからの立て直し。そして、美味しいおやつもいただいた🙆
友人がお店のスタッフに、根掘り葉掘り質問していたことから、
同系列のホテルも気に入ると思うので訪ねてみたらどうかとご提案いただいた。
レストランを出て、あっちの方といわれた方角に歩いてみると、
広場を囲むいくつかの建物が目に入った。
が、ステキ建物は一つだけ、すぐにわかりました。
これが、「枡一客殿」というホテル。これも、ジョン・モーフォードつう人の作品だそうな。
これまた写真のテクとセンスが残念ですが、実際はと~ってもステキなロビーでした。
この写真↓の向こう側が客室だと思われる。入ってみた~い。
このレストランとホテルの存在は、あとでわかることに、
小布施方式による「町並み修景事業」に連なる最新の開発と位置付けられるようです。
町並みづくりに際して、行政主導・補助金ありきではなく、
むしろ地権者らが主導で合意形成を図り、事業を推進する形式をさすようです。
小布施方式については先行研究がたっくさん存在するのですが、
ここでは門外漢のわたしが、果敢にも、
にわか勉強にてわかった限りで、かつ思いつき的考察も加えながら、ちょろちょろと感想的なものを述べてみようと思います。
(つまり、あまり信用しないでってこと……😅)
町並みづくりの対象となるのは、北斎館の西側にある一角。
つまり、たぶん、小布施町の小布施らしい町並みの核心的部分。
この区画の地権者である3個人、2事業者、1行政が、
議論を重ね、ルール作りを行い、
土地の交換や移転をして、この町並みをつくり、維持していくことにしたというのが、小布施方式らしいです。
景観保全みたいなことは、地権者間の合意形成が何より重要だろうから、
それが民間主導で実現されたのは素晴らしい👏👏
でもさ、結局のところ、これってほぼほぼ市村家の事業じゃな~~い?
だってさ、この区画の半分以上がそもそも小布施堂のもので、
市村家所有の土地とあわせると、2/3程度の合意は一族内の問題だよね。
ちなみにこの論文↑は、瓦についての研究論文ですが、同事業についても詳しく書かれていて面白かった。
もともとは左図のような短冊状の土地だったのだけど、観光的町並み用として右図のように配置替えをした、ということらしいです。①が小布施堂。④がおそらく市村家。⑤と⑥のS家は他人なのか分家なのか…。あとは②が行政で③が信金ね。
この町並み事業のきっかけは、1976(昭和51)年の「北斎館」の建設。
その北斎館も、そもそも、市村家12代当主である高井鴻山が、パトロンというか、弟子というか、葛飾北斎とお付き合いしていた。それゆえ当地に残されていた作品を、収蔵・公開するための施設として、町おこしもかねて建設されたようです。
市村家の客人だった北斎を見に来る人たちが小布施にやってきて、
もちょっと客を呼び込もうと、小布施堂が栗のお菓子を前面に押し出す。
さらには、もちょっと風情をということで小布施堂主導で町並み改修。
しめくくりに、小布施堂が、先述した素敵レストランとホテルも建設。
つまり、市村家の土地と私財と財力と才覚とリーダーシップが、現在のちょい有名な小布施という町を作った!という理解でよいのではないだろうか…。たぶん😅
市村家、おそるべし。
現在の17代当主はこんな方です。神々しい!
店内には、大きな樽や古い道具が飾られていました。
話は変わりますが、大きな樽を見て、今年の初めに行った、ギリシャ、サントリーニ島の老舗ワイナリー、吉兆屋のプロ助を思い出しました。歴史もおしゃれさも市村家の方が上回っていますが、商売上手は吉兆屋も負けてなかったです。
小布施に話を戻し、
散策経路にあるこの豪邸が、市村本家だろうか…。
「栗の小径」の突き当りにあった邸宅もステキだった。和のテラスと日当たりのよさそうなお部屋。
ステキなお菓子屋さんがあると思ったら、
出た!またもや「いちむら」。
格子戸をくぐってみると、菓子屋は閉店していましたが、庭師が立派な広いお庭をメンテナンスしていた。セレブ~~な光景。
結果、市村家のパワーに圧倒された。
言ってみれば、過疎化するただの田舎町を、市村家が一大観光地に押し上げたといっても過言ではない!、……のではないだろうか…。個人的な初期仮説ですが……😅
そのあたりで半日空くけどどうしよか~。ちょっと有名そうな小布施にでも行ってみよか~。という軽い展開。
前知識がなかったことで、むしろ純粋に楽しめたかも。
感性のおもむくままにオッサレ~なレストランとホテルを発見して大興奮。
「小布施方式」といわれる有名な町並みも、何も知らずにブラブラ味わった。どのようにこの町並みができた(あるいは保全されている)のだろうと、学術的興味が自然に沸き上がったよ。
ハイセンスなレストランとホテル
一応、観光パンフレットは前もって見ましたよ。わたしは、「町並 小径」と「古刹」に興味あり。あとは、何でもいい~。
友人は、プラス「岩松院」と温泉ということで、
まずは「町並み 小径」を探索。町中の駐車場から、中心地っぽい「北斎館」のあたりを目指して歩いた。
死ぬほど暑いからとにかく一回休みたいと、やっと見つけた店舗「小布施堂傘風楼」に入るも、どうしても気が乗らずに出てきた。都会の小じゃれたレストランと変わらない。
もう少し頑張ろうと、広場の向こうに目をやると、立派なお屋敷発見~!これこれ=!
「ぜひ、あそこに入ってみたーい!あれ、なんだろう?おいくら万円するだろう?」と言いながら近づいた。
「蔵部(くらぶ)」というレストランじゃないか。しかもメニューを見ると普通の価格帯!
すごいすご~い。わ~~い。ここ入る、入る~~。大興奮!!
エントランスも渋~い!
中もとっても素敵!
写真テクが残念ですが、広い空間に、暗さを活かした渋~い演出。私はデザイン系についてからっきしアウェイですが、一緒にいたデザイン系の友人も絶賛していました。
パークハイアットを手掛けたジョン・モーフォードつう人の作品だそうな。
ご注文は、黒豆寒天とアイスコーヒーのセット。これまた上品でアゲアゲ。
この店構え、この洗練さで、寒天セット1000円強の良心価格。おいくら万円じゃなくてよかった。ほッ。
素敵空間にて猛烈な暑さからの立て直し。そして、美味しいおやつもいただいた🙆
友人がお店のスタッフに、根掘り葉掘り質問していたことから、
同系列のホテルも気に入ると思うので訪ねてみたらどうかとご提案いただいた。
レストランを出て、あっちの方といわれた方角に歩いてみると、
広場を囲むいくつかの建物が目に入った。
が、ステキ建物は一つだけ、すぐにわかりました。
これが、「枡一客殿」というホテル。これも、ジョン・モーフォードつう人の作品だそうな。
これまた写真のテクとセンスが残念ですが、実際はと~ってもステキなロビーでした。
この写真↓の向こう側が客室だと思われる。入ってみた~い。
このレストランとホテルの存在は、あとでわかることに、
小布施方式による「町並み修景事業」に連なる最新の開発と位置付けられるようです。
町並み修景事業(1980-87)
町並みづくりの「小布施方式」というのは、町並みづくりに際して、行政主導・補助金ありきではなく、
むしろ地権者らが主導で合意形成を図り、事業を推進する形式をさすようです。
小布施方式については先行研究がたっくさん存在するのですが、
ここでは門外漢のわたしが、果敢にも、
にわか勉強にてわかった限りで、かつ思いつき的考察も加えながら、ちょろちょろと感想的なものを述べてみようと思います。
(つまり、あまり信用しないでってこと……😅)
町並みづくりの対象となるのは、北斎館の西側にある一角。
つまり、たぶん、小布施町の小布施らしい町並みの核心的部分。
宮本忠長建築設計事務所「小布施町並修景計画」より |
この区画の地権者である3個人、2事業者、1行政が、
議論を重ね、ルール作りを行い、
土地の交換や移転をして、この町並みをつくり、維持していくことにしたというのが、小布施方式らしいです。
景観保全みたいなことは、地権者間の合意形成が何より重要だろうから、
それが民間主導で実現されたのは素晴らしい👏👏
でもさ、結局のところ、これってほぼほぼ市村家の事業じゃな~~い?
だってさ、この区画の半分以上がそもそも小布施堂のもので、
市村家所有の土地とあわせると、2/3程度の合意は一族内の問題だよね。
玉井悠嗣・木下光, 2009,「小布施堂界隈の町並み修景事業における瓦の利用形態の変遷に関する研究」日本建築学会計画系論文集 (636), 402 |
ちなみにこの論文↑は、瓦についての研究論文ですが、同事業についても詳しく書かれていて面白かった。
もともとは左図のような短冊状の土地だったのだけど、観光的町並み用として右図のように配置替えをした、ということらしいです。①が小布施堂。④がおそらく市村家。⑤と⑥のS家は他人なのか分家なのか…。あとは②が行政で③が信金ね。
この町並み事業のきっかけは、1976(昭和51)年の「北斎館」の建設。
その北斎館も、そもそも、市村家12代当主である高井鴻山が、パトロンというか、弟子というか、葛飾北斎とお付き合いしていた。それゆえ当地に残されていた作品を、収蔵・公開するための施設として、町おこしもかねて建設されたようです。
市村家の客人だった北斎を見に来る人たちが小布施にやってきて、
もちょっと客を呼び込もうと、小布施堂が栗のお菓子を前面に押し出す。
さらには、もちょっと風情をということで小布施堂主導で町並み改修。
しめくくりに、小布施堂が、先述した素敵レストランとホテルも建設。
つまり、市村家の土地と私財と財力と才覚とリーダーシップが、現在のちょい有名な小布施という町を作った!という理解でよいのではないだろうか…。たぶん😅
市村家、おそるべし。
トレイル 「『羅針盤』抜粋 〜市村次男さん《1》〜」より |
町並み散策
小布施方式で「修景された」町並みを散策しました。
こちら枡一市村酒造場。市村家が代々引き継いでいる生業の一つです。
店内には、大きな樽や古い道具が飾られていました。
話は変わりますが、大きな樽を見て、今年の初めに行った、ギリシャ、サントリーニ島の老舗ワイナリー、吉兆屋のプロ助を思い出しました。歴史もおしゃれさも市村家の方が上回っていますが、商売上手は吉兆屋も負けてなかったです。
小布施に話を戻し、
散策経路にあるこの豪邸が、市村本家だろうか…。
「栗の小径」の突き当りにあった邸宅もステキだった。和のテラスと日当たりのよさそうなお部屋。
ステキなお菓子屋さんがあると思ったら、
出た!またもや「いちむら」。
格子戸をくぐってみると、菓子屋は閉店していましたが、庭師が立派な広いお庭をメンテナンスしていた。セレブ~~な光景。
まとめ
小布施町の、小布施らしい町並みのたぶん核心部分に行ってきました。結果、市村家のパワーに圧倒された。
言ってみれば、過疎化するただの田舎町を、市村家が一大観光地に押し上げたといっても過言ではない!、……のではないだろうか…。個人的な初期仮説ですが……😅