自己愛性人格障害?発達障害? 理不尽な攻撃性とスルースキルについてもんもんと考える

今日はちょっと重い話。
ここしばらく、〇〇障害と言われるような理不尽な攻撃性について、いろいろ考えている。
この理不尽な存在に対して、社会は、そして当事者はどう接するべきなのだろうか?




一般的な人間関係

ここで問題にしている理不尽な存在は、
チョットした愚痴レベルの「いやあねえ」という人のことではなく、
もっと破壊的な攻撃性をもち、近くにいる人に多大な精神的ダメージを与える大変困った人のことである。

そもそも100%完璧な人間などいない。
約束にルーズだったり、融通が利かなかったり、見栄っ張りだったり…
「ちょっとな~」と思う要素は、何かしら誰にでもある。

でも通常は、
親しい大好きな人の場合、良い要素がもっともっと沢山あるから、苦手な部分も込みで大好きでいるはず。
それほど親しくない人の場合は、――そもそも苦痛を与えられるほど接近しないので――気軽なコミュニケーションをエンジョイするはず。
人間は社会的動物なので、「人の間」でしか生きられず、他者との関係こそが生きがいの条件の一つでもある。
ゆえに、だいたいの人間とは、――多少難ありでも、お互いさまで――感謝や愛をもって楽しく共存したいと思うし、そう努力する、はず。

しかし世の中には、できることなら、1mmも関わらずにおきたいタイプの人がいる。
私の場合、それが、破壊的な攻撃者、愛ある隣人を理不尽に攻撃する人である。
私にとっての鬼門。共存が大変困難…。



EQが低くて、IQが並み、攻撃力は破壊的

数年前、電車で、あるおじいさんとお孫さんの二人組に出くわした。
ガラッガラの電車だったので、目の前にいる二人のやりとりが、嫌でも目に入ってくる。
老人はお上品でやさしそうな紳士。孫は少し小太りの小学5年生くらいの男の子。クソガキと呼ばせてもらおう。

クソガキは、たとえば、「おじいちゃん、ゲームちょうだい!」とおじいちゃんに持たせた自分の持ち物を催促。常に威張り口調、怒鳴り口調で、おじいちゃんに指示をする。
おじいちゃんは、「はいはい。〇〇君、このゲームはお母さんに買ってもらったの?」というように、クソガキに対しておだやかに優しく接する。
そして、電車おたくならしいクソガキに、おじいちゃんが「〇〇駅で〇〇電車が見られるかな~」と話をふってあげたところ、「違うでしょ!〇〇線は〇〇電車で、……(ウンチクウンチク)…。わかってないな、だから、おじいちゃんはダメなんだよ!!!」と大きな声で怒鳴りまくる。

え~~、そんなクソガキ、放置しておけばいいじゃん。話しかけない方がいいよ。
しかも自分の荷物くらい自分で持たせればいいんだよ。おじいちゃんは荷物持ちの奴隷じゃない!と、
わたしは靴を脱いでクソガキの頭をポーンとたたきたい気持ちになっていた。

その後、わたしは電車からバスに乗り換えたが、なんとその二人組も同じ経路でバスに同乗。
そして二人がバスを降りるときにもう一悶着、目撃させられた。
「はやく=、なにやってんだよ、のろのろしてるんだから、モーッ!」というクソガキのキンキン声。
二人がバスを降りるらしい。
降車時清算のバスだったのだけど、おじいちゃんは精算機を前にしてパスモが見当たらない。
あわててパスモを探しながら、運転手さんに「スマホでしたっけ、えっと、ピッとするのが見当たらなくて~」と言うと、
さっさとバスを降りたクソガキが、「パスモでしょ!パ・ス・モ!何やってんだよ、まったく!!はやく手袋ちょうだい!!」と外から大声で怒鳴る。

手袋じゃないんだろ======!!!!
おまえもパスモを探さんかい!!!
おまえが、四六時中おじいちゃんにワガママばっかり言ってるから、おじいちゃんがパスモをなくしちゃったんだろうが!!ボケッ!!
と、わたしったら、これまた口汚く…、クソガキにいらだち満載。
(ご安心を。わたしは彼らには一切接触していませんよ。クソガキの頭をパコーンと靴でたたいてもいません)

結局おじいちゃんは現金を支払ってバスを降りた。(あとでほかの乗客が、椅子にパスモが落ちていたと運転手さんに渡していた)
わたしは、バスの中から、歩道を歩く二人のすがたを見送った。
相変わらず、ツンとして偉そうにさっさと前を行くクソガキと、
身をかがめて優しく孫に話しかける親切なおじいちゃん。
あのやりとりが永遠と続くのか…。たまらん。

あれから数年たったけど、
わたしは今だに、鮮明に、あのクソガキが大嫌いだ。

そして、あのクソガキのような大人が、
最近、身の回りに、なんと複数箇所に存在している😖
愛ある隣人を理不尽に攻撃する人たちである。
必ずしも学力が低いわけではないが、精神年齢が2~3歳。
弁が立つだけに、抜群の攻撃力で、愛ある隣人を痛めつくすイイ大人たち。青年やら中年やら老年やら…。

困った。許容量オーバー。頭が混乱しており、脳内の棚を整理しないと、頭の中がごみ屋敷状態~。


どちらが被害者?

ちらっと調べてみると、理不尽な攻撃者は、思いのほかたくさんいるような気配。
「自己愛性人格障害」「モラハラ加害者」「アスペルガー(の一部?)」「2ch脳」「サイコパス」「エナジーバンパイア」など、いろいろな呼び名があるようだ。
それぞれに原因も攻撃のあり方も違うのだろうが、それらを分類したり、関係性を整理する能力を私は持ち合わせていない。

ただし、人格障害や発達障害という分類が示す通り、
それが障害であり、自身の努力でどうしようもなく修正できないものであるならば、
そこに壁をつくり、彼らをコミュニティから排除することは社会的に望ましくない。
彼らをいかに社会に包摂することができるのか、を問わなくてはいけない。

しか~~し、個別具体的な事例をみると、そうも言ってられない。
愛ある隣人が理不尽に攻撃される状況は実に耐え難い。
そんな攻撃者を避け、攻撃されないように皆さっさと逃げるべきだ、と思う。可能な限り遠く、長く。

「カサンドラ症候群」という概念があるそうだ。
モラハラ加害者からの被害に苦しむ隣人が受けるダメージの総称ならしい。
夫婦間のモラハラ(夫が加害者とする)を例にあげると、
精神年齢の低い夫から、勝手な自己都合によって、お前が悪い・のろま・役立たずと日常的にののしられる妻は、苦しみの所在がわかりにくい。自分がダメなのか、夫が悪いのか…。
その苦しみを友人・知人に訴えたところで、外面の良い夫のモラハラを見抜ける者はおらず、ただの愚痴程度にしか捉えてもらえない。
妻は理解者を得られないまま、孤独のうちに、疲労、恐怖、混乱、不眠、うつへと沈んでいく…。
酷い話しだ。

ただし、モラハラ夫のように外面がよいとはいえ、精神年齢が2~3歳で自分勝手に理不尽に他者を攻撃する人たちは、そのうち、社会から制裁をうけ(=多くの隣人から嫌われ、疎まれ)、排除されることになる。ひいては、「最高に素晴らしい自分」を自認する本人が予想していなった嫌われ者の孤独な人生を送る人も少なくないようだ。(幸か不幸か、そこまでいっても、悪いのは自分ではなく、自分を正当に理解できない周りの人間ならしいが…)

この場合、
こうした非社会的な攻撃者は、自省できずとも、ありのままで、社会に包摂されるべきマイノリティ(障害者)なのだろうか?

つまり、社会は、障害を持つ攻撃者を許す(容認する)べきなのか?言い換えると、障害を持つ攻撃者を許せない人間(そこから逃げる者、攻撃性を許さずに排除して自省を促す者)に制裁をくだす(排除して自省を促す)べきなのか?では、その人たちも障害者なら、攻撃者を許せないキャパシティの狭さが許されるのか??

「障害」というラベルによって、誰のどのような行為が社会に容認されたり、救済されたり、あるいは制裁の対象となったりするのだろうか?


スルースキル

ちょっと有望そうなキーワードをみつけた、「スルースキル」。
「スルースキル」とは、理不尽な攻撃を真っ向から取り合わず、上手に受け流すスキルならしい。

本来は、ネット上の匿名による無責任な誹謗中傷を真に受けないという意味らしいが、
直接的な人間関係においても、
攻撃をスルーしつつ、しかし攻撃者を包摂することが可能となる、素晴らしいテクだね。
被害者もいちいち傷つかずに済むし。
先のおじいちゃんは、もしかするとこのスルースキルを十分に獲得されていたのかもしれない。

しかーし、高度スキルだなあ。
クソガキのわがままを鮮明に許せないことからわかるように、わたしにはスルースキルがないらしい。
クソガキの悪態をスルーして、クソガキを愛することなどできないと思う、残念ながら。

小学生のクソガキはまだしも、最近わずらわされている大人の理不尽なワガママに至っては、もうお手上げ。明らかに間違っている!スルー出来ない!!

「おまえ本当にバカだな!自分がさんざん愛ある隣人を理不尽にののしっておきながら、その1000分の1でも自身の非を指摘されたら、この世の終わりほどに騒ぎ立てるのか~~!」と、大きな鏡を見せて己の姿を知らしめたくなる。

「このタコが!他者の気遣いも、愛情も、立場も理解できず、自分の10cm程度の視野で世界を見て、自分の未熟さのせいでうけたストレスをすべて他者のせいにするな~~!」と反省を促したくなる。

そう、このように、理不尽な攻撃をスルー出来ないキャパの狭いわたしも、精神年齢がかなり低い、同じ穴の狢なんです。
しかも、皆で理不尽なワガママをスルーする(ワガママを成功させる)ことが、つまり加害者を甘やかすことが、長期的に良い結果を生むとも思えないんだよな。ダメなことはダメと気づきたい、わたしなら(できればお手柔らかに)。

同じく精神年齢が低い者だからこそ、開き直って、言わせてもらう。
いくら障害とはいえ、やっぱり愛ある隣人を攻撃することはよくないよ!努力しようよ!精神年齢の低さ(障害?)に胡坐をかいて、のうのうと攻撃し続けるのはやめようよ!3歩進んで2歩下がってしまっても、ほんの少しずつでも、自省の道をなんとか探ろうよ!!
ワガママを成功させることは、短期的には楽だけど、むなしい。
自省することはとてもつらいけど、長期的には幸せの礎。

この考えは間違っているの?同じ穴の狢とはいえ、わたしこそが、障害者の苦悩をちゃんと理解できない、視野10cmのこんこんちきなの?あるいは、自分のことを見事に棚に上げているだけ?😵
結局、脳内の混乱はさほど整理されていないが、本日の到達点はここまで。
しばらく悶々と囚われそうだな、この問題。