大磯1:歴史。大磯は別荘の町だった

大磯は何度も通過したことがあったけれど…、
あえて「大磯」に遊びに来たのは初めて。
まずは、ブラタモリ「湘南」の回に依りつつ、大磯の歴史をお勉強。


そこそこ重要な地

大磯には、中世に相模国の国府(神奈川県の県庁所在地的な…)が置かれていたことがあるらしく、古くから、とんでもない僻地というのではなく、重要な地だったようだ。
江戸時代には宿場が置かれ、1803年には、人口2,702人、本陣3軒、旅籠が大小85軒あったそうな(「歴史と素敵なお付き合い」より)。そこそこ都会ですな。

東海道五十三次 大磯

「湘南」とは?

ところで、大磯にまつわる重要なエピソードを一つ。
ブラタモリの受け売りですが…、「湘南」はどのあたりのことだと思いますか?。
わたしは、「湘南」は江の島あたりで、大磯は「西湘」なんだろうと、勝手に思ってた。が、



「湘南」の範囲は定義されてないらしい。
さらには、大磯こそが「湘南」と呼ばれた最初の土地のようだ。へえええ。

詳しくはこんな話。
平安末期(1143 or 1186)に、西行法師という歌人が大磯の海岸あたりで、「鴫(シギ)が飛び立つ夕暮れの沢は、しみじみと趣があるなあ~」的なことを詠った。

江戸初期(1664)に、崇雪(そうせつ)という人物が、その詩の雰囲気が残る場所に「鴫立沢」との標石をたてた。
そして、その標石の裏に「(中国の)湘南に似てよい景色だな~」的な言葉を刻んだ。
そう、もともと「湘南」という地名は、中国湖南省にある景勝地(洞庭湖の南側)を指していたのね。
大磯の景色が、その中国の景勝地を彷彿していたというはなし。(湖と海が似てるの?ほんとかな?)

東海道五十三次 大磯 鴫立沢西行庵
wikimedia commons より
ということで、意外にも大磯が「湘南発祥の地」だった。
その標石は現在「鴫立庵」にあり。
時間がなくて行けなかった~。残念。

日本初の海水浴場

本当に日本初、かどうかは微妙なようだが、
国内では早い時期に、大磯に海水浴場がオープンした。明治18(1885)年。

当時の海水浴は、今のようにビーチでまったり、こんがりではなく、
潮湯治といって、体を治すことが目的だったらしい。

祷龍館(とうりゅうかん)繁栄之図

初代軍医総監の松本順先生(タモリ曰くマツジュン)が、海水浴場として大磯を選んだ。
北風が吹かないというのが、肝だったらしい。
相模湾の海岸で北方に山(高麗山)をもつ(=風を遮る)のは大磯だけ。
そして、波がザップンザップン押し寄せる場所、つまり岩場(照ヶ崎海岸)に海水浴場をオープンした。

上の絵、岩場で棒につかまっている人々が描かれている。荒波にもまれて潮湯治の図。
宣伝用に歌舞伎役者を連れてきて、広告用の絵を描かせたらしいよ。マツジュンやり手だね~。



別荘化

このように、大磯は、すこぶる景色がよくて、体に良い海水浴場もある。
それはつまり、お金持ちがこぞって別荘を建てたくなっちゃうってことだね。

明治17年に吉田茂の養父、(←先駆け?)
明治27年に陸奥宗光、明治29年に伊藤博文、明治30年に大隈重信、ってな感じで(☛明治記念大磯庭園)、
大物政治家がぞくぞくと別荘を建てる、建てる。「政界の奥座敷」と呼ばれた。
特に吉田茂は、政界を引退したのちも大磯から影響力を放っており、
多くの政治家がぞくぞくと「大磯詣」に訪れていたとか。「大磯」=「吉田茂邸」

大磯という地のステータスはうなぎ上りですね。
政治家のみならず、多くのお金持ちが大磯に別荘を建てていったわけです。

そのうちの一つが、大正元年に貿易商が建てた洋館。本日のランチを予約した 大磯迎賓館 つうわけ。

ついでにいうと、昭和には島崎藤村の邸宅もあったようです。
こちらも、時間がなくて行けなかった~😥

おまけ。井上蒲鉾店

意外にも、この蒲鉾店の歴史が古い。
マツジュンの海水浴より7年早い、明治11(1878)年に創業。
こちらのお味は吉田茂も好んでいたとか。

   

今は普通にモダンな建物。
夕方だったので、さつまあげは売り切れており、かまぼことはんぺんをゲット。 どちらもわさびとか、柚子胡椒とか、醤油で食べた。おいしかったよ。
かまぼこの方が好きだったな。



まとめ:大磯は別荘地

大磯はもともと交通の要所であり、また風光明媚な場所だった。
明治に入り、日本に潮湯治(海水浴の前身)の考え方が導入されると、前浜と裏山、そして荒波という条件が揃った大磯の地に白羽の矢が立てられた。
初めての海水浴場として脚光を浴び、もともとの風光明媚な土地柄も手伝って、お金持ちが別荘を建て始めた。
当時のお金持ちってのが有力政治家だったために、政治村としての別荘化が進んだ。
それがまた大磯=高級別荘地としてのブランドイメージを大いに盛り上げ、実業家なども次々に別荘を建てる。
こうして、大磯にはハイソな別荘文化が花開きました!

以上、大磯の歴史の勉強はここまで。
もちょっと具体的な訪問記録を「大磯2:観光」に書きまーす。


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