社格もパワーも一級の鹿島神宮に年末詣でしました。
境内の見取り図はこんな感じ。
奥の湧水ポイントでは、豊かな水が絶え間なく流れ出していました。
2022年はパワフルで画期的な年になるはず!!
鹿島神宮は偉大なのだ
まずは鹿島神宮の偉大さについて確認します。
歴史的、神話的、スピリチュアル的に、かなりすごい神社なのです。
歴史的重要性:軍事拠点
まずは、鹿島神宮の歴史的重要性。ブラタモリからのウケウリですが💦、
鹿島神宮は関東にありつつも(しかもチバラキ)、かなり格の高い神社でアール。
平安時代の延喜式において、当時全国で3社しか認められていなかった「神宮」の称号を得ている。すなわち、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社(チバラキに2社!)。
古代の大和朝廷にとって、この辺鄙な東の地がどれほど重要であったのかが見て取れる。
ブラタモリ「ちばらき」2019.6.1放送より。以下同様 |
古代大和朝廷にとっては、勢力の拡大と安定、すなわち当時東北方面にいた異民族の蝦夷(いまでいうアイヌ民族)との勢力争いが最重要課題の一つであった。
その勢力争いの拠点になったのがチバラキである。
当時の霞ヶ浦は現在よりも2~3倍も大きく、かつ太平洋とつながった内海であった。
超巨大な、天然の良港だったということ。
大和朝廷や、蝦夷の土地や、食料補給地などとの間で、大量の兵や物資を移動させる目的において霞ケ浦は最適な拠点だったというわけ。
その交通の要、重要な軍事拠点である霞ケ浦の入り口を守るのが、鹿島・香取の二大神宮なのだ。
鹿島と香取は、霞ケ浦(天然の巨大良港)を守る拠点であり、
それがすなわち大和朝廷(いまでいう日本国)を守る拠点だったのでアール。
神話的重要性:国を守る神
そのように重要な軍事拠点なのだから、
その神宮には、国を守ることのできるパワフルな神様が置かれるわけだ。
それが、鹿島の武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)と香取の経津主大神(フツヌシノオオカミ)。
今回は鹿島神宮に特化して、前者について確認しておこう。
名前が長いので、不遜ではあるが、ミカヅチさんと呼ばせてもらおう。
ミカヅチさんは、天照大神(アマテラス)の子孫にあたる神ではない。
つまり神世界においては、天皇家ではなく、その親戚筋たる貴族の家柄。
しかし、早い段階から、そして重要な場面で幾度も、古事記に登場する重要な役どころである。
最も有名なシーンが出雲の国譲りのくだり。
こういう場面を見たことがありますよね。神様が、地面にぶっ刺した刀の上に胡坐をかいているシーン。この胡坐の神がミカヅチさん。
神様の豪傑な感じを表現しているのでしょうが、古事記って表現の仕方が独特ですよね。古代人のメンタリティなんだね~。
illustACより |
大和朝廷になかなか従わない地方豪族(神話的にはアマテラスの弟スサノオの子孫である大国主)をまんまと従わせることができた。
その難交渉を成功させたミカヅチさんは、まさに国を守る強~い神様なのです。
その他にミカヅチさんの活躍の有名なのが、天孫降臨のくだり。
アマテラスの子孫、つまり天皇家の先祖にあたる神様(ニニギノミコト)が高千穂に降りて大和に向かう途中、ここでも従わない地方豪族をやっつけて天孫の進軍を助けます。
しかも、自ら人間の世界に出向くことはせず、天界から自分の刀をポイと地上に降ろしただけ。
しょぼい地方豪族など、朝飯前でちょちょいのちょいなのだ。
その強い神様が、アマテラス家に対抗するのではなく、忠実に貢献する。アマテラス家(=大和朝廷、=日本国)にとって頼りがいのある神様なのです。
だからこ====そ、大和朝廷の北のフロンティア、霞ケ浦に居てほしい神様なんです。
スピリチュアル的重要性:レイライン
これまで、鹿島神宮の、歴史的重要性と、それとリンクしている神話的重要性について確認しました。
最後に、毛色の違う、ややスピリチュアルな(科学的根拠のない、あやしい)重要性について確認しておきましょう。
鹿島神宮は「レイライン」に位置していると言われています。
レイラインとは、イギリスの考古学者が提唱した考え方で、古代遺跡が一直線上に並んでいる不思議な現象を説明した学説らしい。
つまり、古代人が、おそらく天文学的パワー感じ取り、そこに重要な施設を建設したという説明なのでしょう(たぶん。よく知らないのだけど…)。
その学説は、批判論も多いようです。
そしておそらくその学説とはそれほど関係のないところで、
日本でも、重要な建造物(あるいは信仰の対象)が一直線上に並ぶ現象をもって、レイラインとして語られています。
風水的かつ天文学的な信ぴょう性があるのかもしれないし、ないかもしれない…。(なんでもいいから地図上に線を引けば、それなりにいろいろな施設がヒットしそうな気もするような…💦)
レイライン説の信憑性はともあれ、
鹿島神宮と天孫降臨の高千穂に定規を充てると、その間にはそうそうたるパワースポットが並ぶらしいです。たとえば、
伊勢神宮は、高千穂と並んで神話つながりの重要スポット。
その他には、皇居(つまり江戸城)や明治神宮も並んでいる。
あと、相模の国の一之宮である寒川神社もヒットします。
寒川神社といえば、話は変わりますが、
たしかに、本当に、主観的に…、パワーチャージのご利益を感じられたお気に入りのパワースポットです。
寒川神社はさらに、上総の一ノ宮である玉川神社と出雲大社を結ぶレイラインにもヒットしており、そちらのレイラインには富士山も鎮座している。
その寒川神社に引き続き、いやそれにも増して、このたびは鹿島神宮でパワフルなパワーチャージをしたのだよ=!!
一之鳥居
先のレイラインの始まりに当たるのが、鹿島神宮の東の一之鳥居。
なんと鹿島神宮には、東西南北に一之鳥居がある。都合4つ。
神様があちらこちらから入ってくるんだね~。
それぞれの鳥居は、神社境内からそれなりに離れており、車移動必須。
鳥居の内側全体(鹿嶋市のかなりの部分?)が聖域という考え方らしい。
東の一之鳥居
東の一之鳥居は、太平洋に面している。
ここは、ミカヅチさん(武甕槌大神)が、出雲で国譲りの交渉を終えた後に上陸した場所らしい。
ミカヅチさんの飛行経路は、人間の考えそうな飛行経路とはやはり異なるのね。
出雲からグイーンと太平洋に飛び出して、バフーンとチバラキに降りてくる、豪快な飛行経路だわ。
いまは堤防があるので、微妙に興ざめな感がありますが、
この鳥居の背後に太陽が昇るお姿は、確かに神々しいに違いない。
レイラインの始まりにふさわしい、パワフルな場所なのだ!!
西の一之鳥居
東(太平洋)の反対側、つまり西(霞ケ浦)側に西の一之鳥居がある。
こちらは、日の沈む様が美しい。
水の中に立つ赤いお姿は、安芸の宮島を彷彿させます。
ここに鳥居が最初に建てられたのは鎌倉時代。
それ以前は、神社内部まで船が入ることができていたらしい。(まさに軍事拠点としての神社ですな)
徳川二代将軍のときから水中鳥居になった(彼が奉納した)とのこと。
神宮から頂いた社報(109号)の表紙の絵が、
説明が見当たらないので推測ですが、江戸時代の「西の一之宮」であろうと推察します。(赤くないんだ~)
鹿島神宮社報109号表紙 |
良好な港という雰囲気が醸し出されていますね。
たくさんの物資や人が行き来したであろう大きな通りと、そしておそらく旅籠的な建物も描かれています。
神宮境内
さて、とうとう神宮の境内に参拝いたしましょう。
大晦日の混み具合がわからずに心配しましたが、激混みというわけではなく、予定していたアクティビティをすいすいと進めることができました。
まずは、境内に一番違い、第一駐車場に車を停めることができました。
こちらは、駐車場の隣にある大鳥居。(たこ焼きが主張しすぎ…)
楼門。神聖な領域に入りますよ~。わくわく。
本殿
ブラタモリで予習したところの、注目すべきポイント 1 は本殿の向きです。
通常は参道の突き当りに本殿があるのですが、
この神社の本殿は参道に面して立っています。これは本殿が真北を向くように建てられているからと説明されていました。(だったらさあ、参道を南北に配置したら参道の突き当りに本殿がくるのでは……??)
本殿は通常、アマテラスのいる南を向くはずなのに、どうしてここでは北を向いているのかといえば、
先述したように、ここが北に向けた軍事拠点だからです。
北の異民族に背を向けるのではなく、正面を向いて対峙しているわけですな。
大晦日ということで、15時から、本殿の前で大祓式が執り行われていました。
社務所機能は本殿のお向かいにまとめられていました。
お焚き上げの品をお預けして、ミカヅチさんのパワーが込められた新しいお札をゲットしましたよ。
頂いた紙袋に入っていた戦利品。
お札、お守り、お酒、そしてわかめ。
寒川神社からの戦利品に比べると、量と質がかなりダウングレードしました。
お札が、木材ではなく、神の箱のようなものになった。
いいや、これは気持ちの問題ですから。
ミカヅチさんの頼もしいパワーが込められたお札とお守りはとてもありがたいのだ!
「鹿島立ち」と言って、心機一転、新しい事を成そうとする際に、
すなわち、人生のターニングポイントに訪れるべきが、ここ鹿島神宮ならしい。
私事ですが、2022年はまさにターニングポイントにすることを企てている。
もう少しちゃんと、10年後20年後を見据えて計画的に、やりたいことだけではなく、やるべきことをする new ナマケモノ博士に生まれ変わるのだ!
ミカヅチさま、どうかご加護を!!
シカさん
次の見どころポイントはシカさん。
こちらのシカさんは、奈良公園と関係が深い。
奈良時代、春日大社が創建されたときに、ミカヅチさんが主祭神として呼ばれた。
その際に乗り物として鹿島から奈良に連れて行ったシカが、現在の奈良公園のシカの祖先ならしい。(現在の鹿島のシカは、一度途絶えたのか、改めて奈良から迎えた鹿の子孫らしいが…)
とはいえ、シカの種類がどうも違うように思えるのだが、気のせいなんでしょうね。こちらの方が小ぶりだし、なにげにカモシカ(ウシ科)っぽい雰囲気。
「ブラタモリ」2019.6.1より |
シカのそばになぜかさざれ石。
日本人なら誰もが口ずさみたくなる「さざれ石」。しかし、それがどのような石であるのか、頭に映像が浮かぶ人は少ないでしょう。これです👇。
御手洗池
誰が入っても水位が変わらないという、不思議の御手洗池。
寒そうなので私は入りたくないが、儀式の際に禊で使うらしいです。ブルッ。
禊のための階段があって、そして大きなコイが泳いでいました。
その、ありがたい聖水で作られた年越しそば(祝いそば)をいただきましたよ。
お腹ペコペコで12時半過ぎに
しかし大晦日なので1時間待ちを覚悟していましたが、すぐに座ることができました。
よかった。
プリップリの海老天がとても美味しかった。
これで心置きなく年を越せる。
要石
森の中を進むと、ナマズに乗ったミカズチさんが現れる。
要石はあっち、という印です。
こらが要石。えっ、これだけ?という小さな石にみえますが、
下に埋まっている部分が膨大ならしい。その大きな要石が、地震を起こすナマズの頭を抑え、地震を鎮めているという考え方。
地上の石を神として信仰するのは日本アルアルですが、
地下の石を信仰するのは珍しい現象ならしいです。
まとめ
鹿島神宮に年末詣でをした。
神社といえば森ですが、
鹿島神宮も森がすごく印象的です。深い森。そしてワイルド。
森の中の、凛と澄んだ清々しい空気を一杯吸い込んで、清められた~。幸先よし。