鎌倉大好き! でも少し物足りない気がするのは何だろう??

週末に遊びに行きたい場所として鎌倉は5本の指に入る。海に近く、おしゃれなレストランがあり、高級住宅が立ち並ぶスタイリッシュな近場リゾート。お寺巡りにおいても、現在進行形の洗練された美しさに目が奪われる(☛鎌倉のおすすめランチ!円覚寺「安寧」


そんな大好きな鎌倉だけど、なぜかいつも、物足りなさを感じたりもする。
なんでだろう???と考えてみると、
それはたぶん、鎌倉の歴史的重要性を味わい尽くしていない、というもどかしさのせいだと思う。
今日は、そんなもどかしさの正体をあれこれと考えてみます。


武士の世をつくりあげた場所

まずは鎌倉という場所の歴史的重要性を確認。
ご存じ、鎌倉時代は日本の歴史においてとても重要かつ画期的な時代です!

おおざっぱに言って、律令国家成立以降の日本の政治権力は高いところから低いところへ裾野を広げるように移動してきた。天皇➝貴族➝武士➝金持ち平民男子➝大人全員というように。

平安末期の平清盛も武士階級でありながら貴族の頂点に君臨した画期的な人物だけど、彼は天皇権力を利用する公家様式の政治権力を所有した。そこにきて源頼朝は、朝廷から離れた東方のへき地で、(朝廷の権威に基づき)武士が権力を担うまったく新しい体制を作り上げた。のちの世に続く大きな転換点=!

武士は日本のアイコン

ついでに、日中韓を比較して常々疑問に思っていることがある。日本には武士の時代がやってきたけれど、中韓は近代化直前まで王政だったよね~(たぶん)。

最近読んだ『マンガ日本の歴史』によると、鎌倉幕府と同じころ、高麗にも武人政権が誕生したけれど、主にモンゴル(元)の侵略を要因として長く続かなかったそうな。
一方日本の場合、鎌倉幕府は元寇を防ぎ、武人政権が存続した。
ちなみにそれは、神風が吹いたおかげというよりも、騎馬民族であった元が海戦に弱かったということらしい。なので日本と同様、東南アジアでも元寇は敗北したとか(村井章介, 1991, 「軍旅と商旅」石ノ森章太郎『マンガ日本の歴史 17』: 210-217)

なにはともあれ、日本においては鎌倉時代以降、朝廷に変わって、幕府(武士)が時代を作っていくことになる。
だからこそ、現在、国際試合の日本チームが「サムライJapan」と呼ばれるわけだし、そんな「サムライ」にわたしたちは日本のアイデンティティを見出しているわけよね。



 歴史的な重みの忘れ物??

ということで鎌倉は、日本の歴史の大きな転換点の一つ、現代日本のアイコンでもある武士の時代を創造した画期的な地!

しかし残念ながらわたしはその重みをしっかりと味わうことができていない😢。
その理由は第一に、わたしの勉強不足・意欲不足なのです。まちがいない。

でも第二の理由として、客観的条件も関係しているように思うんです、たぶん。
だって、こんなアホな観光客でも、つまり同様に勉強不足でも、その地の歴史がひしひしと沁み込んでくる場所ってあるじゃないですかあ。

じゃあ鎌倉には何が足りないのだろうか、と考えてみたところ、二つの要因が思い当たった。一つに鎌倉幕府を彷彿する空間が希薄なこと、二つに鎌倉時代を想像する文学的モデルが希薄だということ。

街に鎌倉幕府の息遣いが希薄

京都には京都御所、東京には江戸城(皇居)があり、それほど土地勘や歴史的知識がない観光客でも「おお、ここで(or こういう建物で)政治が行われていたのか=」とイメージできる。天皇や将軍がここにいて、じゃあ公家や大名が周辺に配置され、…と想像が広がります。

都の規模や時代が違うので簡単に比較してはいけないのだろうけど、それでも鎌倉の場合は幕府の息遣いを想像できる空間が、やっぱり希薄。鎌倉幕府がどこにおかれており、ゆえに町がどのように構造化されていたのか、どんな感じの建物や空間があったのか、ということが想像しにくい。

鎌倉には、時代順に大倉(1180-1225)、宇都宮辻子(1225-1236)、若宮大路(1236-1333)の3つの地に幕府御所がおかれていたそうです鎌倉幕府跡 | 鎌倉の史跡 | 鎌倉タイム。しかし現在、そのすべてが石碑を残すのみで、その石碑も現在の住宅や生活施設に紛れて建ってるようです。

古くから脈々と存続している寺社はもちろん重厚なのだけど、アホなわたしには、かつての政治や経済の文脈と結びつけ難いために、なにか捉えどころのない根無し草のように感じられることがあったりなかったり…(関係者の方々、勉強不足ですみません)。



鎌倉時代の文学的露出度が低い

鎌倉の歴史的重みを感じにくい二つ目の理由として、鎌倉時代の文学的露出度が低いこともあるように思う。

鎌倉時代のヒーローと言えば源頼朝!!、、、以外はあまりフィーチャーされていない。

たとえば、1963年から2015年までのNHK大河ドラマが扱った時代を調べてみると、戦国時代がトップで17作、それ以降は江戸時代(11)、幕末(9)、明治時代以降(7)、平安時代(6)、鎌倉時代(3)、室町時代(1)だそうですNHK大河ドラマで一番多いのは何時代か?(1963年~2015年) - NAVER まとめ

時代が古くなればなるほど資料が少なかったり時代考証が難しかったりと製作上の困難が増すのでしょう。しかし、より古い平安時代よりも、鎌倉時代と室町時代がより扱われていない。この傾向は大河ドラマだけではなく、肌感覚として一般的に言えるように思う。

なので、専門家や歴史好きな人は別として、それほど興味のないただの観光客にとって、鎌倉という時代は想像するための文学的モデルさえも希薄なのですね。

鎌倉の歴史的奥深さをもっと味わいたいんだよう

ということで、今日は鎌倉トリップに際して覚えるもどかしさの正体をあれこれと考えてみました。

もどかしかろうとなんだろうと、鎌倉は十分に素敵な場所です。
しかし、どこよりも歴史的潜在力が高いだけに、「ああ~~もっと痺れるはずなのに~~~」と思ってしまうんですね。

そして結局のところ、跡地や文学のせいにしないで、自分でちゃんと勉強しなさい、っていうのが結論だったりするんだけど。てへッ。今度幕府跡めぐりでもしてみよーっと。


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