大学生のとき形質人類学の授業で、ネアンデルタール人について教えてもらったことがある。
重要なことはすべて忘れてしまったけれど、こぼれ話だけ覚えている。
ネアンデルタール人は、死者に花束を手向けるほど優しい人たちであった。
それに比して現生人類であるクロマニヨン人は、好戦的で荒々しい人たちだった。
だから、クロマニヨン人がネアンデルタール人を駆逐し、現在のわれわれに至っていると。
(実際のところ、ネアンデルタール人絶滅の理由は解明されておらず、これは一つの仮説のようである)
ということは、もしも今、クロマニヨン人ではなくネアンデルタール人の子孫が世界を構成していたならば、もっと争いのない、平和な地球だったかもしれないのかあ~🌏
と考えると、好戦的系列に属する一人として、若かりし頃のナマケモノ博士はとても複雑な気持ちになった。
最近、これを彷彿する話題が続いた。
地球規模の壮大な話ではなく、日本の話である。
もしも東方ではなく西方が現代日本を形成していたとしたら、
雅な日本になっていたかもしれない??的なこぼれ話です。
サムライブルーならぬキンダチブルー!?
めもっ太君さん「平安鎌倉時代の貴族の遊戯」イラストAC |
鎌倉時代:三代将軍源実朝の暗殺
大河ドラマの影響で、最近、NHKの歴史教養番組の多くが実朝の暗殺事件を扱っていた。
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そのなかでも『英雄たちの選択』のアプローチと解釈が興味深かった。
まず実朝は、北条の傀儡、和歌で現実逃避するへなちょこ将軍などではなく、
主体的な意思や政治構想を持つ有能な政治家だったらしい、との近年の研究成果を紹介。
実朝は和歌を操ることで西の後鳥羽上皇との信頼関係を築き、皇子までいただく手はずを整えることが出来た。
そのままいけば、実朝の構想通り、東西の政治融合がなされていただろう。
悪く言えば朝廷の言いなり、良く言えば鎌倉(=東)の雅化だね✨
ところがどっこい、実朝が暗殺されたことで朝廷との仲はこじれ、
鎌倉は再び血で血を洗う、無骨なバトルロイヤル世界に舞い戻り、
さらには承久の乱に勝利して、日本全土に武士の力を拡大することになる。
司会の磯田さんが、実朝が暗殺されなかった想像世界をこう語っていた。
「もし、そのまま、都でやっているアートな政治、和歌の政治が東まで及んできていた可能性がある。この後我々が東日本で始めるのは強いか弱いかのパワーな政治。アートな政治ではなくパワーな政治に日本史は大きく舵を切っていくことになりますよね。」(NHK, 22.11.5「鎌倉殿暗殺!源実朝 禁断の政治構想」『英雄たちの選択』)
もし実朝が暗殺されなければ、日本では、「パワーの政治」ではなく「アートな政治」がそのDNAを開花させていたかもしれないという。
言い換えると、日本と言えばサムライ、ハラキリなのではなく、日本と言えばワカ、ケマリとなっていたかもしれないということ。
ワールドカッブでも、「サムライブルー」ではなく、「キンダチブルー」と呼ばれていたかも!⛹️
江戸時代:へうげもの
甥っ子がいつも漫画を貸してくれる。
今は『へうげもの』を読んでいて、21巻まで進んだ。(大人で忙しいから、1か月1~2巻程度のペースでしか進まないんだけど…)
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今は、徳川の世になり、大阪の陣が始まろうとしているところ。
茶人で大名の古田織部から見た西と東は、豊臣・織田勢力vs.徳川勢力、数奇vs.野暮、ひょうげvs.真面目の対立である。
戦のない天下泰平の時代は歓迎するが、世界が徳川一色に染められてしまうのはたまらない。数奇(風流)もひょうげ(ふざけ)も受け入れられず、ただただ無骨な合理性を強いられる世界の到来に絶望する。
織部のみならず、彼らの周りの数奇者たちは、豊臣の時代の、茶の湯の宴に象徴されるような文化的・精神的な豊かさに、ある種の正義を見出しているのだ。
またしても、西の風流と東の野暮の対立。
そしてまたしても、日本史は東の論理に舵をきってきた。
まとめ
西方には、古代から脈々と、文化的DNAが受け継がれているようだ。中世の雅な朝廷はもとより、武士(農民??)の豊臣政権であっても風流を重んじていた。
それに比して東方は、いつもクソ真面目で無骨な役まわりである。
そういえば現代でも、個人的経験として、関西人から茶化されて、ひょうげるどころか、文字通り受け取ってムキになったことがある。東のクソ真面目気質である。
長い歴史の中で、幾度か東西対立がおき、その都度、東の論理が勝利し、現代日本を形成してきた。
もしも歴史の中で、東のクーデタがことごとく失敗し、トーキオではなく、キョートやオーサカが中心となる現代日本が形成されていたとすれば、それはどのような日本っだったろうか?
成熟したステキ日本だろうか?はたまた、時代遅れの身分制な独裁国家だったりするかな?